生きがい創出

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 フットパスが高齢者に及ぼす影響etc 

 

日々に幸せと、豊かさを 

福 祉

生活の安定や充足

現在の超高齢化社会においては、介護費や医療費の出費が多額になることで、それが高齢世帯の家計を圧迫し、豊かで安心して暮らせることに不安を感じている高齢者が多いのが実情です。
私たちの周囲を見回してみると、退職してしばらくはそれぞれ可能な仕事を探し、身体が適応できるうちは何とか頑張って働き、そのなかで、時々グランドゴルフの練習や試合に出掛けている方が一般的であるといえます。
また、地域によっては90歳を超えた夫婦が農作物(オクラやごぼうなど)を栽培し、毎日の収穫と出荷で相応の収入を得、甘藷栽培農家ではヒゲ取り作業などを一日中手伝っている高齢者もいます。
それと家庭菜園の延長で、100円ショップで小遣いを得ている高齢者の方も相当数おられます。
 
皆さんは、福祉という言葉から一番先に何を連想されますか?
おそらく、行政が担う高齢者や障がい者への公的サービス(施策)のことであると思われる方がほとんどでしょう。
そう、つまり福祉の意味を一般的には受け身のかたちとして捉えているのです。
 

それでは福祉の定義とは何でしょうか?

福祉とは、すべての人が幸せに暮らせるように取り組む活動や仕組みのことです。福祉の「福」と「祉」にはどちらも「幸せ」という意味があり、人々が健康で文化的な生活を営むための社会を築くことを指します。
福祉には、次のようなものがあります。
市役所が行う公的サービス、福祉サービス、ボランティア活動、 助けあい活動。いわゆる自主的活動の推進も福祉の重要な分野になります。
福祉の仕事には、介護、保育、相談援助、保健医療、行政・社会福祉協議会の分野などがあり、その内容もさまざまです。
福祉の考え方は、憲法25条の生存権にも示されています。憲法25条では、すべての人々が健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有することが示されています。
 

発達障害

福祉の対象には高齢者の他、幼児(保育所)と障がい者も含みます。このなかで重要な分野として、障害のなかに発達障害という区分がありますが、実はこの発達障害という言葉が日本で使われるようになったのは1970年からで、その後10年近くはその対応(支援・治療)について不明な点が多かったことで、実際に認識されたのは1980年頃からになり、それ以後、保育所や小学校の指導要綱のなかに織り込まれました。
発達障害は先天性知的障害とは異なり幼いときの状態は解りづらく、また知的には問題ない場合が多いので、専門機関から指摘されたとしても家庭において黙認(隠蔽)されてきたこともあり、それが原因で支援や治療が遅れたケースが結構見られました。
私たちは、知的を含む発達障害や、自閉的疾患となる引きこもりに対し、どこまで自然体で臨むことができるか自問自答してみて、できれば機会をみつけて、それらの障害を持つ人々への対応の仕方を学ぶ必要があるでしょう。
 

フットパス効果

WEB管理者である私も高齢者で、そして10年前の下肢の複雑骨折の後遺症でしっかり歩くことができなくなり、だからこそ、ただ歩けるだけのことがどれほどありがたいことであるか、それを痛感しています。
フットパスを計画しても自ら一緒に歩くことができず、企画や準備(草刈りなど)軽トラックでの「軽トラCAFE」や「縁側CAFE」を担っています。
フットパスの意義は、歩く、受ける、販売(購入)する。そのどれもでプラスアルファの効果を生みますが、特に高齢者場合は時間にゆとりがあるので、そのどれもが選択肢になり、健康、触れ合い、生きがい、経済面(対象限定)についての効果によって積極的活動(前進的福祉)につなげることができます。
コースのなかに地域の方のグランドゴルフ練習に参加するプログラムを取り入れたり農産物の収穫などを加えると一味違ったフットパスになるでしょう。

より自立した生活のお手伝い 

支援と介護⇔要支援・要介護

支援予防との言葉は無い

介護が必要となる時期を延ばすための介護予防策はありますが、支援を必要としない段階においては支援予防という行政施策はありません。
このため、民間ベースにおいて、要支援になるのを延ばす(防ぐ)ために? をテーマに私たちに出来得る対策を考え実践することが求められます。
 

介護予防とは

厚生労働省は、介護予防を「要介護状態の発生をできる限り防ぐ(遅らせる)こと、そして要介護状態にあってもその悪化をできる限り防ぐこと、さらには軽減を目指すこと」と定義しています。
また、介護保険法第4条(国民の努力及び義務)では、「国民は、自ら要介護状態となることを予防するため、加齢に伴って生ずる心身の変化を自覚して常に健康の保持増進に努めるとともに、要介護状態となった場合においても、進んでリハビリテーションその他の適切な保健医療サービス及び福祉サービスを利用することにより、その有する能力の維持向上に努めるものとする」と規定されています。
 

介護予防の目的

介護予防は、ただ単に高齢者の運動機能や栄養状態といった特定の機能・状態の改善を目指すものではありません。介護保険法に記されたように、心身機能全体の改善を通じて、高齢者が自立した日常生活を営めるように支援することが介護予防の目的です。
さらに、高齢者の日常生活の活動性を高め、家庭や社会への参加、生きがいや自己実現のための取り組みを促進していくことも期待されています。
 

私たちにできる介護予防

ひと昔前と違い、高齢者と呼ばれ始める65歳についてはまだ現役で働けるのが当たり前で自意識的には壮年という感覚をもっている人が多いと思われます。
70歳になってようやく高齢者としての実感がわいてきますが実際には70歳になってもほとんどの人は、車の運転も普通にでき、何事も他人の手を借りずにできることから、年寄りというイメージを持つことなく過ごすことができています。
実はこの時期に、自覚して介護予防の意識をもって暮らすことで、自ずから健康を保つ習慣が身に付き結果的に楽に動ける時期を長めることができます。
そういう意味からも、家族、地域、学校、職場において周りの人々全てを好きになり、行き交う人々とも笑顔で相対でき、犬や猫にも愛情を注ぎ、昆虫など小さい生き物(命)をも慈しむ(いたわる)優しき心をもって、健康な身体づくりとともに、健全な心身をテーマにして、出来ること、すべきこと、求められることにしっかり対応(チャレンジ)していくことで、それが生きがいとなって、子どもや孫たちからも魅力あるおじいちゃん・おばあちゃんとして大切にされ、それを喜びに昇華できれば、それこそが高齢者としての望まれる生き方になるでしょう。

その人らしく暮らせる環境を整える 

医療と看護&命の連鎖

高齢者の疾病と介護スタイル

高齢者のほとんどは、ある時期から病院のお世話になりますが、そのなかで慢性的持病として認定された分については定期的な診察と投薬が必務になります。
症状別の受診科は代表的な内科、外科、整形外科、心臓外科、脳外科のほか、泌尿器科、皮膚科、眼科、耳鼻咽喉科、歯科、そして精神科がありますが、多い方は4~5科を受診しているため週に2~3日単位で通院しています。
その他、身体的苦痛を緩和するため東洋医学的な各種治療院を利用する高齢者も多く見られます。
一度受診すると、慢性的疾病については介護施設に入居したあとも継続的な受診と投薬を継続することが必要となります。
 
国民皆健康保険がなかった1961年以前には、家主が大病に罹ると多額の治療費で家庭が崩壊する例が多く見られていましたが、それ以降は保険に守られて安心した生活を送れるようになり、1997年(平成12年)に制定された介護保険法から後は、ほとんどの家庭で高齢者の介護を施設に委ねることができるようになりました。
そのため、従来の家庭中心の介護スタイルが大幅に変化し、老齢介護は施設入居が当たり前になり、そのなかで治療が必要な場合は医療介護として病院に入院し、看護を含む介護を受けることができます。
 
確かに一般介護の場合も骨折や外傷時、加療時には病院に入院することもありここで一時的な看護を受けることになります。
介護と医療の連携においては地域包括支援センターや各施設に在するケアマネージャーが連携して支援計画を策定し、入居やディサービスにおいて利用者自らが施設やサービス種を選択して支援を受けることができます。
 

延命治療

入居及び入院中の延命治療については対象者の家族が選択しますが、受給年金額と医療介護費を比較し年金額が余るか不足するかが決定基準になることが多く見られます。この現実をみるとき人の命(延命)について懐疑的な心境に陥ることもあります。
誰しも必ずいつかは死を迎えます。命の尊厳を考えるとき、人はどこまで人らしい生き方ができるのか? しかし尊厳死が認められていない我が国においては自らまたは家族が命の終わりを選択できず、意識が朦朧(もうろう)となってもそれでも生き長えなければならない理不尽に悩まされます。
 
ただ、若くして、幼くして命を終える人も相当数いることを考えるとき、命の選択(尊厳死)を人の手に委ねることは冒涜になると言っても過言ではないでしょう。
 
昔の家族介護では食欲が衰退し身体が衰弱しそれにより自然的死を迎えるケースがほとんどでした。家族の介護を受けながらそれを幸せと感じ得るか、それとも施設で終末を迎えるか? そのどちらが望まれる姿かは、諸々の事情により答えは違ってくるでしょう。これらは永遠のテーマになります。
 

命の連鎖


命は、子どもから孫へと引き継がれていきます。この連鎖を「命の連鎖」といい、人はそれにより生かされ次代に命を託していきます。
私の家族の多いときは祖父母、父母、私たち夫婦、子ども4人の10人家族で、プラス犬1~2匹、猫4~6匹の大世帯でした。
そのなかで子供たちは犬や猫の死、曽祖父母の死に直面し、命の尊さを身をもって感じることができていました。大家族と地域のファミリー会での交流があったことで、心身とも健全に育まれ多くの方々から支えられ4人とも安定した職場と確たる家庭を築くことができました。
現実社会においては、核家族化によって子供たちが曽祖父母はおろか祖父母と一緒に暮らせることは皆無といってよいほど見られなくなり、犬猫をペットとして飼う機会も少なりなりました。
それと同じく、知らないおじさんには声を掛けない話してはいけないなどの風潮が広がり、登下校時に出会う人々との何気ない会話や触れ合いの機会も激減しました。
ただ、そのような中であっても、しっかりした声と仕草で朝夕の挨拶をしてくれる小中高生に出会うと、何故かほっとした気持ちになれます。
 

メッセージ


ここで小中高生の皆さんへのメッセージを書き記します。
皆さん方は、お父さんお母さんから尊い命を授かり、そして愛情を精一杯受けて、健やかに成長されています。
あなた方の存在は以前と比べ少なくなった子供ゆえに尚更、次代を担う大切な人としての、その価値はより高くなっています。
私たち高齢者からすると、日常であなたたちの生き生きした姿を見れるだけで元気が出るのを感じます。
どうか、これからあなた達が成長していく段階の一部に私たち高齢者との触れ合いの機会を設けていただくことをお願い致します。
グランドゴルフでもフットパスでも、エコツーリズムの体験でも皆さん方とご一緒できるだけで私たち高齢者の生きがいが高まっていくことでしょう。
そしてささやかではありますがあなた方のより高みを目指すことへお手伝いもできると思います。なにとぞ宜しくお願い致します。
 
私の大切な人をあなたにも大切にしてほしいから、あなたの大切な人を私も大切にします。